FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「漱石ところどころ」第3回

第3回『琴のそら音』


「予兆」とは何かが起こる前触れのことである。
しかし、矛盾しているようだが、何かが起こる前に「予兆」というものは存在し得ない。
なぜなら、何かが起こって初めて、あれは予兆であった、と気付く。
いまだ起こらぬうちは、それが予兆であると断定できないからである。
『琴のそら音』は主人公が友人宅で、雇っている婆さんの愚痴をこぼすところから始まる。
家の方角が悪いから引っ越せだの、犬の遠吠えはよくないことが起きる前触れだの、迷信迷信で困る。
婚約者がインフルエンザに罹り、婆さんがますます引っ越しを勧めるから困る、と。
それまで同情していた友人が、インフルエンザと聞いて顔をしかめる。
「これは本当に注意をせんといかんよ。」
幽霊の研究をしているこの友人はインフルエンザに罹って死んでしまった女の話を始める。
この女は遠く離れた夫の元へ幽霊になって会いに行ったという。
「遠い距離において、ある人とある人の脳細胞と他の脳細胞が感じて一種の化学変化を起こすと…」と説明し、注意しろと友人は言う。
迷信を馬鹿にしていた主人公もだんだん不安になってくる。
帰り道は雨が降る。どこからか鐘の音が響く。乳飲み子の棺桶が運ばれていく。火の玉が揺らめく。
その全てが愛する婚約者の死の予兆となる。
家に帰ると婆さんは犬の遠吠えがいつもと違うと気味悪がっている。
床についてもいつもは気にならない犬の遠吠えが響いて眠れない。
夜が明けるとすぐ、主人公は婚約者のもとへ駆けだすが…。
主人公を取り巻く全ての予兆は、恋人の死という物語へ収斂される。
予兆は「そら音」か。
物語の最後はやさしい音が響く。
ある春の日の物語。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。